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更新日:2024年3月7日
大和浜の群倉は、奄美大島に現存する唯一の高床式穀物庫群です。高倉と呼ばれる高床式穀物庫は、奄美大島で古くから使用されており、かやぶき屋根の部分に穀物などが保管されていました。この高倉が集まって建てられているのを群倉(ぼれぐら)と呼びます。火災などの災害に備え集落のはずれに建てられていました。現在5棟が現存しています。
琉球王府下賜のノロ遺品で、奄美大島だけに残っているものです。首飾りと玉ハベラ(写真)は、細かなガラスビーズで作られており、ノロが神事を行う際に背中に垂らして使っていました。
玉ハベラの起源とされるものに、奈良県斑鳩町にある藤ノ木古墳出土のガラス玉群背飾りがあります。この古墳は6世紀後半のもので、被葬者の上半身に玉ハベラ状のガラス玉約4,050個が付いた装身具が発見されています。藤ノ木古墳のこの玉ハベラ状ガラス玉群の上に、首飾りと思われる玉の輪があって、背飾り・首飾りがセットになって出土しており、大和村のノロの装身具とよく似ています。
正面龍と飛龍の模様を入念に、しかも見事な刺繍をほどこしたノロの胴衣は、奄美はもちろん、沖縄にも、ほかに見つかっていません。古くから東アジアの皇帝や国王の着用する五爪正面龍の紋様がついた絹の衣服をどうして大和村のノロが所有し着用したのかは分かっていません。きわめて精巧な作りで、首里にあった琉球王府の製作所で作られたと考えられます。国王のさがり物かどうか不明ですが、大事な図柄の胴衣を下賜されたのは、大和村にいたノロを特別に重視してのことだと考えられます。
参考文献 鹿児島県教育委員会編「県文化財調査報告書52集」2006年
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